人生を変えるようなジャンルに、あと何度出会えるだろう。
私の人生を変えたRPFレッドドラゴンの電子書籍版が発売されたので、
せっかくなので何かを……と思い、これを書いています。
レッドドラゴンって何?って思っている方は私の文章なんて読まなくていいから電書買って読んで。まじですごいから。
RPF レッドドラゴン 1 第一夜 還り人の島 (星海社文庫) 三田誠
https://www.amazon.co.jp/dp/B08BJ1QNKK/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_49heFbJF37M6V
@amazonJPより
レッドドラゴンの連載が始まった時、私は高校生だった。
知ったのは紅玉いづき先生のサイトからで、レッドラのテレビCMが流れるよ!という告知を見たのが最初だった。つまりはレッドラ始動の本当に最初の最初から。どうも、私が伝説の見届け人です。
だけどその頃の私は、多少ラノベを嗜んではいたものの、メインではずぶずぶのジャニオタで、アニメはほとんど見ないゲームもしない、漫画も人に借りるくらいでしか読まない人間だった。でも中1の時に『ミミズクと夜の王』を読んでからずっと紅玉先生が大好きで、好きな作家さんを聞かれると必ず紅玉先生と答えていた。
そんな紅玉さんの告知、しかも突然のテレビ案件である。私はワクワクしながら、深夜にアラームをかけてCMが流れるというFate/Zeroの時間に起きた。親にばれないように自室のテレビの音量を落として、電気もつけずにCMを待った。アニメも一応ちゃんと見てたけど、当時の私はFateのフェの字も知らなかったから、内容はよく分からなかった。(後に履修したので許してほしい)
そして、私はレッドドラゴンのCMを見た。
見たけど、正直何が始まるのかさっぱり分からなかった。
だって考えてもみてほしい。ゲームとか全然知らない人間が突然ロールプレイングフィクション言われても分からんし。RPGがどういうものかもよく分かってない人間が、TRPGの手法で1からシステム作って云々とか言われても分かるわけがなかった。
よく分からないまま、とりあえず紅玉さんが何か大きな企画に参加することだけ分かって、始まりの夜はたぶん、そのあとすぐに寝てしまった。
内容をやっと理解できたのは、たぶん連載が始まってからだったと思う。
それから毎月レッドラを楽しみにする日々が始まって、私はもちろんエィハと紅玉さんを激推ししていた。
だって、ねぇ? あんなに紅玉さんらしいキャラはいないよって本当に思った。短命で、隣には魔物がいて、持ち物は自分の命だけ、みたいな。当然のように、私のとてもとても好きな系統のキャラだった。
最初から最後まで私はずっとエィハびいきで、だからレッドドラゴンの冒頭は本当に、あっけにとられた。冒頭から私の推しを殺すなまじで。推しの死ぬ最速記録余裕で更新だったわあんなん。
でもあの一件で、あ、これはヤバい作品だと私は察した。
これ、本気で応援しないと。簡単に死ぬ世界だ。フィクションの世界に生身の私たちの祈りが通じることなんてほとんどないことは分かっていたけれど、それでも、祈らなければならないと思った。祈るあてはなかったから、「願う」のほうが言葉的には正しいかな。
エィハが幸せになりますようにと、最初から最後まで私はずっと願い続けた。
それと同時に、エィハにぜってーー勝ってほしいと思った。私は何と戦ってたんだ。なんだったんだろう。
それは今から思うと、「運命」に、だったのかもしれない。
そんな風に、私はレッドラに夢中になっていった。
毎月レッドラを楽しみにしていた私は、その夏にうっかりTwitterを始めた。
そしてTwitterでレッドラの感想を漁りはじめて――その結果、全国に友達が増えた。
当時、私の周囲にはレッドラを読んでいる人がリア友しかいなかったから、レッドラ読んでる人こんなにたくさんいたんだ!!と思った。Twitterをはじめたばかりで、しかも未成年ってことも隠してなかったし、今から考えると非常識な子供だっただろうし危なっかしかっただろうけれど、当時相互フォローになった方たちは優しく迎え入れてくれた。そういう人たちとはもう8年くらいのお付き合いになる。
いろんな人の感想を見て、それまでの私はエィハの視点でずっと物語を追いかけていたんだけど、他のキャラ推しの人から見た世界を知った。見えている世界が全然違うんだなと思った。
最初は良かったけど、後半になるにつれ、エィハはちょっと、周りのキャラと違う行動理念で動くようになって、私はエィハびいきで読んでいたので、正直「は~~、エィハと忌ブキ以外全員死んでくれないかな」と思っていた時期があった。そんな私のことも嫌わずにいてくれたので、私のフォロワーさんは全員とびきり優しい人たちだ。
それから、他のPL陣の作品にどんなものがあるかも布教で知った。私はゲームをするようになったし、アニメも見るようになった。
レッドラのイベントのために徳島のマチアソビに行った。ジャニーズの現場で母と遠征はよくしていたけれど、友人たちとの遠征は初めてだった。普段は遠方に住んでるフォロワーさんとリアルではじめましての挨拶をした。
そうやって、私の世界はレッドラをきっかけに、どんどん広がっていった。
中でも2014年、GWのマチアソビは、私にとって忘れられない一日だ。
レッドラの最終回の先行上映。
そのときは、それまでのマチアソビにはこなかったフォロワーさんもきていて、いろんな人とはじめましてをした。
本当に忘れもしない。最終回ということもあって、先行上映のチケットは抽選で、私はなんとその抽選に外れた。年甲斐もなく大泣きして、たぶん口に出しはしなかったし傲慢な考え方なのも自覚していたけれど、私が絶対この中で紅玉さんの次にエィハのことが好きなのになんで最終夜見れないの!!ってめちゃくちゃ心の中で暴れていた。落ち込んでいる私を見かねて、フォロワーさんがすごい頑張って立ち見席チケットの情報をリサーチしてくれて、「今シネマにいったら立ち見席のチケット配布してるって!!はよいき!!」と言われてシネマまで走ったりした。結果的に、立ち見席の、ufocinemaの階段に座って私は最終回の先行上映を浴びることが出来た。6年越しですが、あのときは本当にありがとうございました。感謝してもしきれない。お見苦しいものをお見せしてすみませんでした。
そして、そんなフォロワーさんのおかげで、その日は奇跡みたいな一日になった。
その先行上映会には、紅玉いづき先生がいらしていた。そのとき私は初めて紅玉先生にお会いして、しかも先行上映後に、少しだけお話を、させてもらった。
最終回を見終わったばかりで、しかも大好きで憧れの人を目の前にして、もうテンションがどうにかしていたのか、詳しいことは全然憶えてないんだけど。
確か、紅玉さんが一輪の花を持ってきてらして、それを当時の星の海の広報さんに、「ファンの方へ」って託されたの……かな? それで、その広報さんが私のことを憶えていてくださって(何度か物販とかでお会いしていて、エィハ推しの人間ですと名乗っていた)、そのせいか、回り回って私のところにそのお花がやってきた。
お花を受け取って、その後に「あそこに紅玉先生いらっしゃるよ」と教えてもらって、めちゃくちゃダッシュで紅玉先生を囲ってしまった記憶がある。過去の私、もう少し自重してほしい。今ではめちゃくちゃ反省している。
でも本当にさ、私の中であの時間は、奇跡みたいなものだったんだ。
もう自分が何を言ったのかも憶えてない。紅玉先生が好きなことと、それから、エィハの結末がとても良かったことを、伝えたかった気がする。伝えられてたのかな。もう本当に何にも憶えてないや。
紅玉先生が、「エィハを応援してくれてありがとう」って言ってくださったような気もするだけど、もしかしたらそれも、夢だったかもしれないな。私にとって、あまりに都合のいい記憶だから。
紅玉先生にもらったお花は、大事に大事に家に持って帰った。それこそ、煉花をフクロウのもとに持って帰るときのミミズクみたいに。
短命の運命を背負ったあの子の花、だったので。そのまま枯らすのが正解かとも思ったけど、結局自分の欲望が勝って、家に帰ってからプリザーブドフラワーに加工してもらった。今でも、あの花は私の元で咲き続けている。
そんな、すごい2年半があって。でもレッドラが連載を終了したあとも、この2年半がきっかけで、いろんなものが変わり続けた。
レッドラを通じて仲良くなった人たちとの付き合いはレッドラが連載終了してからも続いて、フォロワーさんに会いに東京に行ったり、逆にフォロワーさんが私の地元である京都に遊びにきてくれたりした。冗談抜きで、私には全国に友達がいる。嬉しい。
そして私は、レッドラを通じて出会った人たちと、TRPGを始めた。
キャラを作った私は、当然のようにSSを書いた。それが「当然」なのはレッドドラゴンの中だけだということを、私はしばらくあとになって知った。でもそのときのGMやPLはみんなレッドラでつながった人たちだったから、みんなそれを当然のように受け止めてくれた。まじで私の周りの人たち、優しい。
でもなんか、私以外にもSSを書いて来る人はいたし、絵描きさんは立ち絵に表情差分をめっちゃ作ってくるし、卓のPV作る人はいるしPCでMMD作って来る人はいるしで、正直なんかみんな、すごい。みんな、基準がレッドラになっていて、あぁ同じジャンルを通ってきた人たちだなぁという感じがする。
TRPGを始めた私には、夢があった。
私のTRPGはレッドラからだったから、自分でやるようになってからもずっと、レッドラみたいな命を削るくらいのセッションをしたかった。この間、その夢が叶った。私の好きしか詰まってないみたいな卓をやらせてもらって、命、燃やしきったなと思った。すごい、私ほんとに、周りから甘やかされて生きてる。
TRPGを始めて数年はプレイヤーしかしていなかったけれど、最近になってようやくGMもやるようになった。まだまだ修行中だけど、いつか、プレイヤーに命を削ってもらえるような卓がやりたい。それが、私の新しい夢だ。
そしてそんな私にも、就活の時期がやってきた。
高校生のころの私は、大人になっても一人暮らしなんて絶対にしたくないし、創作は趣味で出来ればいいと思っていた。だからずっと地元にいて、就職は地元の例えば銀行とか、金融系の仕事をして、生きていくんだろうと思っていた。
でもいざその時期を迎えてみると、私の世界は、びっくりするくらい広くなっていた。
好きなことを仕事にしたいと思ったし、もしかしたら出来るんじゃないか、と思った。そのために東京に出るのも悪くないな、と思えた。東京にはたくさん友達がいて、きっと寂しくないだろうなと思えたから。実際、面接で東京にいくたびに、レッドラ経由の友達が夜ご飯に付き合ってくれた。
レッドラを通じていろんなエンタメに触れて、創作にもいろんなジャンルがあって仕事があることを知った。いろんな形で、エンタメに、創作に関われるのだということを知った。
だから私は、それまで自分に敷いていた人生のレールを、思いっきりはずれてみることにした。
父の説得がなかなか大変で、パフォーマンス用に地元でも就活をしたけど、幸いにも東京にあるエンタメ系の会社で早々に内定をいただけたので、地元の企業は全部途中でこちらから活動をやめ、父には「全部落ちた~やっぱり私金融系は向いとらんわ~><」でごり押しして納得させた。これから就活をする人は真似をしてはいけない。
そうやって私は、昔の私が聞いたらたぶん喜ぶような肩書きを手に入れた。
まだまだ下っ端で、もちろんしんどいことも多いし不満が一切ないわけでもないけれど、それでも、昔の私の夢を叶えられた。
きっと、ここまで世界が広がっていなかったら叶えられていなかったと思う。
こんな風に人生をまるっと変えてしまうようなジャンルに、生きている間にあと何回出会えるだろう、と思う。
学生から社会人へと変わる、一番変化の大きい時期に出会ったせいもあるのかもしれない。
だけど、人一人の世界をこんなにも広げて、感情を動かして、人生を変える。
レッドドラゴンは私にとって、それだけの熱量のある作品だった。
その熱量を浴びてほしい、と思う。
私たちは、それを二年半かけて浴びた。一緒に過ごした日々が長かったから、もしかしたらともに過ごした月日の分だけ、熱量も増幅しているのかもしれない。
まるで、奇跡みたいな二年半だった。
そんな時間を過ごせたのは、リアルタイムでレッドラを追っかけていた私たちの特権だ。悪いな、これだけは電書組にお裾分けしてあげられない。
でも、レッドドラゴンに閉じ込められている熱量や面白さは、電書で読んだとしても絶対に変わらない。
レッドラは、伝説の六夜だ。
その伝説を少しでも多くの人が目撃してくれることを願って、レッドラを宣伝したいと思う。
みんな!!! 読んでね!!!(ここまで読んでくれる人たぶんフォロワーさんばっかりだからあらかた読んでくれてそうだけど)
RPF レッドドラゴン 1 第一夜 還り人の島 (星海社文庫) 三田誠
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@amazonJPより
たくさんの奇跡をくれてありがとう。
読めて、出会えて良かったです。